私の履歴書

2008年:大学入学

夢と希望に満ち溢れてた。いや、ホント

2008年~2012年:大学在学中

世の多くの大学生と同じように、適当に授業をサボりつつ怠惰な毎日を過ごす。やりたいことやなりたい理想はいろいろあったはずだが、現状維持バイアスに負けて結局何もやらなかった

2012年:就活失敗

あまりにも怠惰な毎日を送っていたため、就活に必要な自己アピールがまったく思い浮かばなかった。結果、就活に失敗。単位は取得できていたが、新卒枠を使いたいがために就職留年することに

2012年~2014年:就活留年

二年間留年をしながら地元のコンビニでバイトして、最低限の生活費と学費を稼ぐ。就活の失敗と人生初の挫折によって、社会に出ること、そして現実を直視することが怖くなった。この間就活は一切していない

2014年:フリーター生活の開始

就活を言い訳に留年するのも厳しくなり、大学を卒業。暗黒のフリーター生活に突入

2014年~2018年:暗黒のフリーター時代

大学在学中からバイトしていた地元のコンビニで働き続ける。友人たちが出世し結婚していく中、底辺客に怒鳴られながらレジを打つ毎日。将来のことなど何も考えたくない、いや、考えられないほどみじめな日々だった

2018年:システムエンジニアとして正社員に

私の状況を見かねた幼馴染が「これが最初で最後の手助けだからね」と、知り合いのシステム開発会社の役員を紹介してくれる。プログラミングになどまったく興味がなかったし、ブラック業界と名高いシステムエンジニアになどなりたくなかった。だが、泥沼の人生から抜け出すチャンスはこれが最後だともわかっていた。居酒屋で役員と顔合わせし、社員との選考面接を受け、内定をもらった。こうして私は4~6年に渡るフリーター生活を抜け出し、IT業界に足を踏み入れた。このとき28歳だった

2018年4月~6月:研修時代

年下の同期1名と机を並べて、参考書を見ながら自社でプログラミングのお勉強。JavaやSQL、変数やらメソッドやらの意味がよくわからないまま、参考書に書いてあるサンプルコードをそのままパソコンに打ち込んでみると、とりあえずプログラムが動いた。「あ、動いた。これでOKか」と考え、そのまま参考書の文章や用語の意味はスキップし、サンプルコードを丸写しするだけの勉強を進める。だが、研修終了間近、進捗確認をしにきた先輩社員の質問の意味がまったくわからず、しどろもどろに。そんな私に数歳年上の女性先輩社員が放った言葉。「……ねえ、この3ヶ月間近く何やってきたの? マジでやばいよ。マジで何やってたの? どうすんの? ねえ、こっからどうにかなんの?」今までの無為な日々が想起された。帰り道、少し涙が出た。

2018年7月~10月:初めてのお仕事

どうにかなるわけがない。マジでやばい状態のまま、研修終了。そのまま現場に出る。だが上司が死ぬほど忙しい時期の配属だったため、放置プレイを食らう。最後の1ヶ月でようやく仕事を任されるが、上司の指示通りにマウスをクリックしてスクリーンショットをExcelに貼り付けるだけの簡単なテスト工程のお仕事だった。意外となんとかなった。

2018年10月~2019年1月:初めてのお仕事らしいお仕事

別の現場に異動。初めて仕事らしい仕事を任されることになる。プログラムをいくつか作る仕事だった。「やべえ、プログラミングなんていまだによくわかんねえよ、死んだかこれは」と軽く絶望していると、上司がやるべきことを詳しく教えてくれた。「これはな、これこれこういう目的で使われる部品(プログラム)なんだ。こっちにもう出来上がっているやつがあるから見てみな。ほら、ここをクリックするとこう動くだろ? お前が作るやつはこれとほとんど同じだから、これを見ながら作ってみな」教えられた通りにやってみる。当然、わからないところが出てくる。質問する。教えられた通りにやってみる……それを繰り返してると、できた。プログラムができた。そうすると面白いもので、今まで理解できていなかった変数やらメソッドやらの用語も少しずつ理解できるようになってきた。……意外となんとかなった。

2019年1月:また別の現場に飛ばされる

また別の現場に飛ばされる。少しずつ難しい仕事を任される。期限までに間に合いそうになく上司に泣きつき助けてもらうこと数度。なんとかしてもらった。上司は優しかった。そんな上司に応えようと、自分でもなんとかして仕事をこなした

2019年10月~2020年10月:初めてのサブリーダー

大きめなプロジェクトのサブリーダーとなる(名ばかりサブリーダーである。下に部下がいるわけでもない)プロジェクトの概要もわからぬまま、とにかくタスクをこなしていく。今までと同じように上司に質問しても「それはおれもわかんないな……他のチームの人に質問してきて!」と返される。が、今まで優しかった上司とは違って、他のチームの人は冷たい。「何が言いたいかよくわかんないですけど、それってそっちの仕事じゃないんですか?」と、こちらの質問の仕方が悪いとにべもない。泣きそうになりながらも必死で事情を説明すると、「はあ……じゃあわかりました。ここからここまではこっちでやるから、あとはそっちでこういうふうにやってください」となる。こちらとしては「へ、へへえ……申し訳ねえでがんす」とかしこまるしかない。しかしこれも不思議なもので、そんなことを何回もやっていると、質問の仕方も洗練されるし、わからないことを調べる力も身についてくる。つまり、自分でなんとかする力が備わってくる。こうして1年間を過ごすうちに、いつしか周囲からは「ああ、その機能? それだったら○○さんに質問して」と、周囲からはある種のキーマンとして見なされるまでになった

2020年11月~2021年3月:初めてのプロジェクトリーダー

前述のプロジェクトの成果を受けて、新規機能開発プロジェクトのリーダーに抜擢される。「マジかよ」と思いつつも、顧客折衝やメンバーのマネジメントをこなしながら自分でもプログラミングをやっていく。口うるさいジジイや使えない新人の面倒を見つつ、使えるものは上司でも何でも使って、プロジェクトリーダーとしての仕事を完遂する。これまでにつちかったものを使って、なんとかしてやったのだ。ちなみに、だが……プロジェクトリーダーというのはIT業界でいえば一種の管理職であり、キャリア面でも年収面でも大きなターニングポイントとなる。私はこのとき31歳。システムエンジニアとなってから5年目を迎えようとしていた

2021年4月~2021年5月:そして転職

それまでの忙しさが幻だったかのように、簡単なプロジェクトを淡々とこなしていく毎日がやってきた。人間、暇になると余計なことを考えるようになる。「おれはこのままでいいのか?」上司との雑談を通して、今の会社に居続けて40歳、50歳になったときの年収はだいたい想像できた。私の希望よりはだいぶ低かった。それだけではない。同じ現場に居続ければ、システムエンジニアとしての自分のキャリアが錆びついて、年を食ったときに仕事が少なくなるのもわかっていた。私にこの会社を紹介してくれた幼馴染は言っていた。「新人には良い会社だけど、長く居続ける会社ではないよ。3年経ったら転職しな」3年? いや、もう4年経っている。今は5年目だ。私は転職活動を始めた。

2021年6月:転職を告げた

ワークライフバランスとキャリアパス、そして年収。そのすべてを満たす会社から内定をもらえた。そして内定をもらった時点で初めて、私は会社の上司に辞職の意思を告げた。それまでは辞職について匂わすことすらなかった。転職活動のやり方としては花丸の方法だったが、死ぬほど世話になった上司たちに対してはこの上なく卑怯なやり方だった。だが、彼らは「残念だ」と言うだけでこちらを責めることは一切言わなかった。本当にただの一言も言わなかった。

2021年8月:会社を辞めた

私は会社を辞めた。28歳、社会人未経験、IT業界未経験の私を一から仕込んでくれた上司たちに対して卑怯なやり方で、私は会社を辞めた。が、特に後悔はないし、後悔してはいけないと思っている

2021年9月~現在:将来なんてわからないよな

新しい会社でプロジェクトリーダーとして様々な課題を抱えながらもなんとか日々をしのいでいる。年収は抜群に上がった。今後のキャリアプランもそれなりにある。それらのおかげで今後の自分が送りたい人生プランについても、取れる選択肢が前の会社にいたときよりも圧倒的に増えた。とはいえ、である。思うところはいろいろある。新しい会社に転職して数カ月後に、前の上司と飲んだ。そのときに「どう? 転職して良かった?」とストレートに訊かれた私はありのままに答えた。「今は良かったと思ってます。だけどこの仕事も不安定なところがあるから10年後、20年後にはやっぱり転職しなきゃよかったと思ってるかもしれません」ストレートにストレートを返した私に、上司は笑った。「そうだよねえ。そんなの、おれだってそうだもん。だいたいさ、日本が10年後、20年後どうなってるかわからないんだから!」

現在:やれることをやって、ぐっすり眠る

今後、自分の人生が、IT業界が、日本がどうなっているかわからないが、とりあえずは毎日をどうにかこうにか過ごしている。目の前の仕事をこなしたり、投資計画を練ったり、好きなものを身につけて、ストレッチや筋トレをして、毎日ぐっすり眠って……28歳でフリーターをしていたあの頃は悪夢ばかり見ていたけれど、今は夢なんか全然見ない。毎日ぐっすり安眠している

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